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東京高等裁判所 昭和59年(行ケ)122号 判決 1985年10月28日

原告

釜屋化学工業株式会社

被告

特許庁長官

主文

特許庁が、昭和57年審判第7050号事件について、昭和59年3月7日にした審決を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第1当事者の求めた裁判

原告は、主文同旨の判決を求め、被告は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第2請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和47年12月28日特許庁に対し、名称を、「ガラス表面に対する光輝性メタリツク文字図柄等の加飾方法」とする発明(以下「本願発明」という。)について特許出願をしたところ、昭和55年6月21日出願公告がされたが、特許異議の申立があり、昭和57年1月19日拒絶査定がされた。そこで原告は、同年4月12日審判を請求し、特許庁同年審判第7050号事件として審理されたが、昭和59年3月7日右審判の請求は成り立たない旨の審決があり、その謄本は同月24日原告に送達された。

2  本願発明の要旨(特許請求の範囲)

ガラス表面に、ガラスに対して良好な親和性、密着性を有するエポキシ樹脂、メラミン樹脂、アルキツド樹脂、アクリル樹脂等の合成樹脂を主成分とする印刷インキをスクリーン印刷、グラビア印刷、オフセツト印刷等の印刷法により印刷して、所望の文字図柄等を上記ガラス表面より隆起して形成するようにし、次いで隆起した印刷部分を常温で放置するか又は所定温度で強制乾燥して上記印刷部分を実質上粘着性のない半硬化状態にした後、この印刷部分上面からアルミ蒸着を施したホツトスタンピング箔を当てて加熱弾性体により圧着して、前記文字図柄等の印刷部分にのみ光輝性メタリツク転写体を施し、この光輝性メタリツク転写体を所定温度で焼付けることを特徴とする文字図柄等の加飾方法。(別紙(1)図面参照)

3  審決の理由の要点

1 本願発明の要旨は前項のとおりである。

2 これに対し、本願の先願に相当する実願昭43―21327号(出願日昭和43年3月18日、公告日昭和49年11月1日)の出願当初の明細書及び図面(実公昭49―39796号、以下「引用例」という。)には、「透明塗料で硝子1の面にスクリン印刷を成して任意の模様2を設け、この模様部位にスタンピングホイル3を載置加圧し、スタンピングホイル3を任意の模様部2に貼着させ、模様部2以外の部分を破棄し、焼付乾燥して成るホツトスタンプを施した硝子の製法」なる考案(以下これを「先願考案」という。)が記載されており、そのスタンピングホイルに黄金色や銀色のものが使されることも記載されている。(別紙(2)図面参照)

3 そこで、本願発明と先願考案とを比較すると、両者ともにガラスの一面に、予めスクリーン印刷により模様下地となる印刷層(印刷部分)を形成しておき、その上に金銀色のスタンピングホイル(箔)を載せ、加熱下に加圧して印刷層の個所に金銀色模様を転写させ、次いでこれを焼付乾燥させることからなるガラス表面への金銀色模様の現出方法(光輝性メタリツク文字図柄等の加飾方法)に関するものであり、基本とする技術それ自体は両者全く同一である。

4  審判請求人は、本願発明は、(1)印刷材料に印刷インキを使用していること、(2)印刷層をガラス表面上に隆起して形成するようにしていること、(3)その印刷層を実質上粘着性のない半硬化状態にまで乾燥させていること、の3点において、先願考案と異る旨主張する。

しかし、(1)の点は、本願発明の印刷インキも先願考案の透明塗料も、合成樹脂等の固形分と溶剤から実質上構成される模様下地を形成させるための印刷材料という点で実体は同じである。なお、印刷材料が透明かどうかは、本願発明のようにガラス表面側からみた金銀色転写模様の現出だけを意図する限り、本質的差異とはならない。(2)の点は、先願の明細書中に印刷層の厚みについて説明するところがないとしても、ガラス自体に塗料中の固形分を吸収したり浸透したりする性質がないところから、先願考案の印刷層とて当然に「微かに隆起」(本願公報第4欄第4行)する程度の厚みはもつている筈である。したがつて、その上の金銀色転写模様もやはり立体感のあるものと推認される。(3)の点については、先願の明細書には被覆層の乾燥につき説明がないものの(なお、乾燥程度の点は本願の出願当初の明細書にも記載がない。)加圧下に転写をしている先願考案でも、常温下に放置してその加圧に耐える程度まで乾燥をしているとみるのがむしろ自然である。

そうしてみると審判請求人が主張するところは、いずれも実質上相違点とは認められない。

5  そうすると、本願発明は、特許法29条の2第1項本文により、(なお同条同項但書の事実は認められない。)特許を受けることはできない。

4  審決の取消事由

審決の理由の要点1、2は争わない。しかし、本願発明は、先願考案と以下に述べる1ないし3の3点において明確に相違するのにもかかわらず、審決は、これらの相違点を認めず、本願発明は先願考案と同一であるとの誤つた判断をしたものであるから違法として取消されるべきである。

1 相違点その1―印刷部分を隆起して形成するようにした点

本願発明の特許請求の範囲には、「所望の文字図柄等を上記ガラス表面より隆起して形成するようにし」たことが明記されている。ここに、「印刷層を隆起して形成し」とは、人間の五官による視覚及び触覚の観点よりみて隆起し形成していることにほかならないのであり、この点は、発明の詳細な説明にも明示しているところである。このように、本願発明における「印刷層を隆起して形成するようにした構成」は、単純にガラス面にスクリーン印刷等を施しただけではなく、積極的に隆起形成すること自体を特許請求の範囲に明示した点で重要な要件であり、これによつて図柄等の印刷が立体感を有するとともに光輝性をも増大できるという特有の効果を発揮するものである。

これに対し、先願考案は、単にスクリーン印刷をするだけであつて、視覚で認識できるような盛上がりや隆起についての記載、従つてまた立体感を認識できる記載は全くない。

審決は、この点について先願の明細書中に印刷層の厚みについて説明するところがないとしながら、微かに隆起する程度の厚みはもつている筈であるとしたのは、明らかな事実誤認である。

2 相違点その2―印刷部分を事実上粘着性のない半硬化状態にした点

本願発明は、特許請求の範囲の記載からも明らかなとおり、「隆起した印刷部分を常温で放置するか又は所定温度で強制乾燥して印刷部分を実質上粘着性のない半硬化状態にしたこと」を必須の要件とするものである。この点は、前記1の印刷層の隆起形成と密接不可分の関連工程であり、隆起した印刷部分に、次のスタンピング工程を行う際に、ロール圧着でもつぶれないようにし、かつスタンピング時のメタリツク転写の接着を良好にするための要件である。若し、半硬化状態に至らないうちにスタンピング工程を行うと、隆起した印刷部分が、ロール圧着によつてつぶされてインキがはみ出してしまい、また印刷インキが完全に乾燥してしまうとスタンピング時のメタリツク転写の接着が不良となるのである。

これに対し、先願考案には、半硬化の思想は全く存在していないばかりでなく、先願考案にいう「透明塗料」には最初から強度の粘着糊剤を含有してあるために、乾燥は禁物であり、粘着性のあるうちに直ちにスタンピングホイル3と密着させるようにしているのである。乾燥したら、糊剤の働きがなくなることは、通常の事務用接着のりなどを考えれば誰にもわかるところである。

審決は、この点についても、先願考案には、被覆層の乾燥について説明がないとしながら、先願考案においても加圧に耐える程度にまで乾燥しているとみるのが自然であるとするのは誤つた推論である。

3 相違点その三―印刷インキと透明塗料について

本願発明は、特許請求の範囲に、ガラス面に親和性、密着性のある特定の材料と性質を備えた印刷インキである旨を明示し、発明の詳細な説明中にも特定の性質を明示した合成樹脂を主成分とする印刷インキであることを記載している。なお、印刷インキとは印刷に用いられるインキの総称で一般に顔料(着色)と媒質(ベヒクル)を練り合わせたものである。

これに対し、先願考案で用いるものは透明塗料である。ところで透明塗料は流動性物質で物の表面に塗り広げるもので被膜保護を目的とし、透明であるため、図柄や文字は描けないのである。仮に本願発明の印刷インキを先願考案の実施例第4図の時計に利用すれば、インキ顔料の着色のために時計裏面から透視できないこととなり、両者は作用効果の点にも明白な差異が生じる。

しかるに審決は、「印刷材料」という上位概念を用いてことさらに両者の共通性を見出そうとするものであり、この点でも誤つている。

第3請求の原因に対する被告の認否及び主張

1  請求の原因1ないし3の事実は認める。同4のうち、本願発明の特許請求の範囲及び発明の詳細な説明中に原告が主張する記載のあることは認めるが、その余の主張は争う。

2  原告の審判取消事由は以下主張のとおり失当であり、審決には違法の廉はない。

1 相違点その1の主張について

本願発明では、模様下地となる印刷層(印刷部分)を、ガラス表面より隆起して形成するとしているが、その印刷層の厚みは、明細書に、「粗面より若干隆起する」あるいは「ガラス粗面より微かに隆起する」とあることから明らかなように、若干ないし微かに隆起する程度にすぎない。それに、ガラス表面より印刷層を隆起して形成する手段にしても、本願発明では、単にガラス表面に印刷インキをスクリーン印刷等により印刷するだけであつて、隆起するために特別な手段や特別な材料を採用するわけではないから、印刷層の「微かに隆起する」との厚みも、せいぜい、印刷インキ中の合成樹脂等の固形分がガラス表面に残るという程度のものにすぎない。したがつて、先願の明細書中に印刷層の厚みについて説明するところがないにしても、ガラス自体に塗料中の固形分を吸収したり滲透したりする性質がないところから、審決が、ガラス表面に透明塗料を予めスクリーン印刷して形成させた先願考案の印刷層とて当然に「微かに隆起」する程度の厚みはもつている筈であるとして、本願発明の印刷層と厚みを同一視した点に、何ら誤まりはない。

2 相違点その2の主張について

先願考案においてスクリーン印刷に用いる透明塗料中には、合成樹脂等の固形分のほか、溶剤が含まれており印刷層の形成後、これは必ず除去しなければならないが、溶剤を除去する乾燥は、先願の明細書中に、得られる金銀色模様につき、「明確鮮麗で絶対に剥落しない」とあることからいつて(すなわち、印刷層がスタンピング工程のロール圧着でつぶれ印刷不良を起こしていないことからいつて)、印刷層がもはや流動せず、しかもなお密着性のある程度まで常温下に実施していることは明らかである。したがつて、審決が先願の明細書には被覆層(印刷層)の乾燥につき説明がないものの、加圧下に転写をしている先願考案でも、常温下に放置してその加圧に耐える程度まで乾燥をしているとみるのがむしろ自然であるとして、本願発明の乾燥程度と同一視した点に、何ら誤まりはない。

3  相違点その3について

先願の明細書中には、先願考案で使用する透明塗料につき、その種類の説明がないが、塗料とある以上、エポキシ樹脂、メラミン樹脂、アルキツド樹脂、アクリル樹脂のような合成樹脂を被膜形成材料として含むことは当然であり、また、これは、ガラス表面にスクリーン印刷する(もちろん、文字や図柄を描くため)ものである以上、ガラスに対して良好な親和性、密着性を備えていることも当然である。したがつて、審決が、本願発明の印刷インキも先願考案の透明塗料も、合成樹脂等の固形分と溶剤から実質上構成される模様下地を形成させるための印刷材料という点で実体は同じであるとして、両者を同一視した点にも誤まりはない。

第4証拠関係

本件記録中書証目録の記載を引用する。

理由

1  請求の原因1ないし3の事実は、当事者間に争いがない。

2  そこで、原告主張の審決取消事由について検討する。

1 相違点その1について

(1)  当事者間に争いのない本願発明の特許請求の範囲並びに成立に争いのない甲第2号証(本願発明の特許公報)によると、本願発明は、ガラス表面に光輝性のあるメタリツク文字や図柄等の装飾を施す方法に係るものであり、ガラス表面に、まず印刷インキを用いて所望の文字や図柄等を印刷し、次いでこの印刷部分の表面にホツトスタンピング箔を圧着して右印刷部分のみに光輝性のあるメタリツク転写体を施すのであるが、この転写体を焼付けるに当り、予め右印刷部分すなわち所望の文字、図柄等を「ガラス表面より隆起して形成するように」しておくことが必須の要件とされているものである。

そして前掲甲第2号証によると、この点について本願明細書の発明の詳細な説明欄には、右印刷部分をガラス表面より隆起して形成する目的は、印刷部分に「立体感を出すようにするためである」との記載(第3欄7行ないし8行)があるほか、発明の効果として、印刷部分が「メタリツク転写した際に立体感を有するとともに光輝性をも増大できる利点がある」との記載(第4欄5行ないし7行)のあることが認めれる。

以上の事実からすれば、本願発明は、ガラスの表面に立体感を有する光輝性あるメタリツク文字、図柄等を加飾することを技術的課題(発明の目的)とし、この課題を達成する手段として、前記の構成を採用したものであることが認められる。

(2)  一方成立に争いのない甲第3号証によると、先願考案は、表面に鮮麗な剥落しない文字や模様等のホツトスタンプを施したガラスに係るものであり、その方法(工程)は、ガラス表面に、透明塗料を用いたスクリーン印刷で任意の文字や模様等を設け、これにスタンピングホイルを加圧して貼着させ、右文字や模様以外の部分を破棄して成るものであり、また、その技術的課題(考案の目的)ないし効果としては、「従来ガラスに文字や模様等をスクリーン印刷をするのに種々の塗料だけで種々の色合を出そうとしていたが、このような塗料だけでは鮮麗明確な黄金色や銀色の模様等を印刷することが不可能であつたことに鑑み、前記方法によつてガラスに明確鮮麗でかつ剥落しない印刷が可能となり、なおこれを透明ガラスに施した場合その面を裏側にすると、表面に透視でき汚損しないなどの効果がある。」との趣旨の記載のあることが認められる。そして、前掲甲第3号証を検討しても、引用例には、右印刷部分について立体感を抱かせようとする意図やそのために右印刷部分を積極的に隆起形成する構成については、記載ないし示唆するところは見当らない。

(3)  そうしてみると、前記(1)に述べた本願発明の技術的課題(目的)及び右課題達成のための構成は、いずれの点においても先願考案のそれと異なるものであるといわなければならない。

(4)  もつとも、被告が主張するように、本願発明において、ガラス表面に隆起して形成する印刷部分の隆起の程度については、特許請求の範囲に特段の限定がなく、明細書の発明の詳細な説明中には、「印刷は……粗面より若干隆起するようにして……」(第3欄5行ないし7行)、「……印刷がガラス粗面より微かに隆起するように印刷されている……」(第4欄4行ないし5行)との記載があることが認められ、他方先願考案もまた前述のとおりガラス表面に塗料でスクリーン印刷するものであつて、ガラス自体には塗料中の固形分を吸収したり滲透したりする性質がない(このことは原告の明らかに争わないところである。)から、印刷部分にある程度の隆起ないし厚みが存するとみられる。

しかしながら、本願発明は、前記(2)に記載のとおり、印刷部分を積極的にに隆起させて立体感を抱かせるものであり、このような発明の目的及び構成に照らすと、右隆起の程度は、人が、虫眼鏡や顕微鏡のような機械力によることなく視覚(裸眼)によつて容易に立体感を抱く程度のものでなければならないと認めるべきである。また、本願発明の明細書(前掲甲第2号証)には、印刷部分を隆起させるために特別の手段や材料を採用する旨の記載がないことは被告主張のとおりであるが、これは明細書の記載に不備があるかどうかの問題に過ぎず、右認定を妨げるものではない。しかるに、先願考案の目的及び構成は、右のようなものでないことは、前記(2)に記載したところから明らかである。

従つて、この点に関する被告の主張(21)は採用できない。

2 相違点その2について

(1)  前記本願発明の特許請求の範囲及び前掲甲第2号証によると、本願発明は、前記のとおり隆起形成した印刷部分にホツトスタンピング箔を当てて加熱圧着する際に、右「印刷部分を常温で放置するか又は所定温度で強制乾燥して上記印刷部分を実質上粘着性のない半硬化状態」にすることが要件とされており、これは、次のスタンピング工程を行う際に、隆起した印刷部分が加熱弾性体による圧着に抗してつぶれないようにすると共にスタンピング箔の接着が良好に行われるための要件であることが認められる。

(2)  これに対し、先願考案については、前掲甲第3号証を検討しても、本願発明の前記構成に対応する記載は見当らない。これは、先願考案が、前記1の(2)に記載の目的及び構成に照らし、とりたてて「半硬化状態」というような限定を加える必要がないことからみて当然のことと解される。

もつとも先願考案も、前記のとおり塗料を用いたスクリーン印刷を行つた後にスタンピングホイルを加圧貼着するのであるから、右印刷部分が乾燥しきつてしまつてはならない点で自ずと限定のあることは当然であるが、本願発明のように隆起形成した印刷部分の押しつぶれを防止するための構成上の特段の限定はないものと解するのが相当である。

(3)  そうすると、本願発明の右(1)の構成もまた、先願考案と異なつているというべきである。

3  このように、本願発明の技術的課題(目的)、構成並びに作用効果の諸点から先願考案を対比すると、前記1及び2に述べた各相違点があり、これらを併せ考えると、本願発明と先願考案とが同一であるとした審決の判断は、その余の点について検討するまでもなく誤つているものというべく、原告主張の審決取消事由は理由がある。

3  よつて、原告の本訴請求を認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して主文のとおり判決する。

(瀧川叡一 松野嘉貞 清野寛甫)

<以下省略>

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